ときどき神主ブログ - 最新エントリー
6月15日午後3時から御田植祭を斎行しました。
産土大神(うぶすなのおおかみ)御年皇神等(みとしすめがみたち)をお招きして、お供えを捧げ、五穀豊穣などをお願いし、田植えをしました。
まず、宮司がひとつ。
本日、奉賛会の解散式を執り行いました。
それに先立ち、櫛原天満宮御神前にて、解散奉告祭を斎行しました。
祭典前の様子です。
奉賛会でお役をお勤めいただきました皆さんにお集まりいただき、大神様に無事終了したことを奉告しました。
社務所での解散式の後は、慰労もかねての直会(なおらい)となりました。
今日は、午後からもうひとつ行事がありまして、明日のブログに掲載します。
明日、15日に御田植祭で使う御幣です。
今年は、こんな形になりました。。。
「田植の儀」の最後に御神田に立てます。
昨日は看板を受取に、熊本市まで出かけました。
熊本は、5年間ほどサラリーマン生活を送ったところです。
せっかくですから(?)、お昼に熊本ラーメンをいただきました。
3号線沿い、植木ICの手前です。人気のお店のようでした。
毎月25日の夜、櫛原天満宮の社務所にて「櫛原天満宮の御神酒をいただこう会」を開催しています。
目的は、その会の名称の通り、「神さまに日々お供えしたお酒のお下がりである御神酒をありがたくいただいて、神さまのご神徳をちょうだいしよう」ということです。
参加条件は、20歳以上の”自称若手”です。男女問いません。
会費は千円、御神酒は日本酒ですが、他にもビールや焼酎もあります。 ※差し入れ歓迎!
食べ物は、おつまみ程度ですので、できればちょっと食べて参加された方が良いかも知れません。(おつまみ類だけで、充分満腹になった、という声もありますが・・・)
参加申し込みは、準備の都合上、できるだけ早めにいただきたいのですが、当日でも構いません。
ともかく、気軽にご参加いただきますよう、お待ちいたしております。 電話でどうぞ。
このところ、午後7時頃から午後10時頃までワイワイやっています。
※くれぐれも飲酒運転にならないようお願いします!
昨日梅雨入りしたようですね。
梅雨入りと梅雨明け(速報値)
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html
平年より3日早く、昨年より 6日遅い そうです。
朝のどんよりとした風景
櫛原天満宮から近いのですが、初めて行きました。
住所は篠山町ですが、屋号に花畑とついています。もともと花畑にあったお店の復活のようですね。
にんにくを結構強く感じました。 530円。
毎月25日に行っている「御神酒をいただこう会」。
あとでみていたら、おとといが第10回でした。記念すべき回。 いやいや、そんなおこがましい会ではありません。
今回は13名。
2名の方が初めてご参加。 ありがとうございます。
神様のお徳のこもった御神酒をいただいて、またひと月、頑張りましょう!
平成26年5月25日お参りいただきました。
すやすや、おねんねでした。
昨日は、櫛原天満宮氏子祭を斎行しました。
総代さんと今年度の神社世話人さんにご参列いただきました。
100名以上の世話人さんを通じて、大祓やお神札が氏子の皆さんに届けられます。
いろいろお世話お掛けしますが、宜しくお願い申し上げます。
御神前での祭典後、社務所広間で直会(祝宴)をいたしました。
いつも楽しくお話しできるのが何よりです。
なんせ、ひとりバタバタでしたので、写真は一枚もありません。
せめて直会でも撮っておけば良かったといつもあとになって思います。
昨日の午後からは、旧久留米市の神職での会議、そのあと神社総代会久留米支部の理事会がありました。
場所はいつもの日吉町鎮座日吉神社の広間です。
真ん中ぐらいに座って撮りました。
中央が総代会久留米支部長の河北さんです。
今年の御田植祭は6月15日午後3時からです。
昨年、ご神田の水漏れがあり、波板を周りに差し込んでいただきました。
その時の様子
http://kushihara.net/modules/d3blog/details.php?bid=720
昨日、その波板を付け替えていただきました。
久留米札幌ラーメン 塩ラーメン。
自然塩を手作業で焼塩にして使用、野菜の味が生きた一品・・・ とのことです。
美味しいです!
メニューが豊富で迷うのですが、今日は入店と同時になぜか塩ラーメンを頼んでしまいました。
櫛原天満宮で6月30日に執り行う、夏越大祓式並び茅の輪くぐりの案内をつくっています。
氏子さん、一軒一軒に配布されます。
パソコンで作った案内を、メモリースティックに入れて、近くのコンビニへ。
良くコピー機を入れませんかという営業の電話がかかってきますが、大量に印刷するのは年間通じてもそうありません。
メモリーからのデータを直接印刷しますから、従来のコピーのガラスの汚れとかもありません。
真木和泉守(まきいずみのかみ)はご存じ勤王の志士で、全国水天宮の元宮である久留米の水天宮の神主さんでした。
没後150年を記念して劇が行われます。
久留米から放たれた一矢の誠 未来を見すえた眼 真木和泉
http://showman.jp/makiizuminokami/makiizuminokami_01.html
「あべちゃんトシ坊」で有名なトシ坊こと、仲谷一志さんが座長の劇団ショーマンシップが演じられるとのことです。
櫛原天満宮では、お神札やお守りは午前8時ごろから午後5時頃まで授与していますが、宮司ひとりの神社ですので、出張などで表に出していないことも多いです。
ただし、癌封じのお守りだけはいつでも24時間お受けいただけるようにしています。 (台風接近等で片付けている時もあります)
賽銭箱の横に置いていますので、お受けになりましたら初穂料500円は賽銭箱に入れておいて下さい。
こちらは24時間ではありませんが、社務所窓口ではこんな風にお守りをお受けいただけるようにしています。
お越しの際は、お気を付けて。。。
社務所のテレビ。雨が降ると、映らなくなるチャンネルがあります。
アンテナを上げたときに、「この方向かな~」という感覚で設置していたのですが、インターネットの地図で調べてみたらだいぶん違っていました。
思っていた以上に、北でした。
櫛原天満宮御鎮座825年記念事業でまだ終わっていないのが、由緒板の設置です。
今まで、一の鳥居の左側にありましたが、今回は一の鳥居と随神門の間、参道に平行に設置する予定です。
場所を決めました。
入り口から見て、狛犬さんのじゃまにならないようにしました。
平成26年5月6日お参りいただきました。
お誕生日が4月2日。 同じ学年のお友達の中では一番おねえちゃんですね。
平成26年5月5日。こどもの日にお参りいただきました。
神職の『諸祭式要綱』という教科書に、
祭儀畢つて後、母子共に社殿を三めぐりして帰参する風習がある。
と、ありまして、おうたくんもお母さんに抱っこされて、櫛原天満宮のご社殿を三めぐりしてお帰りになりました。
宗像神社と宮地嶽神社に参拝しました。
宗像大社は2ヶ月前にも参拝しました。
境内に絵馬堂があります。私が宮司をしている小森野の日吉神社にも絵馬堂があって、現在の社務所南側の建物がそうらしいのです。
実際、こんなふうだったのかなぁと宗像大社の絵馬堂を撮りました。
「堂」というと、普通お寺ですね。 本堂とか使います。 神社だと「社」を使いますから、絵馬社とでも言うべきなのでしょうけど、神仏混合の名残なのでしょうね。
神宝館も再び拝観。本当に素晴らしいものばかりです。
ちょっと前、4月23日です。
総代さんに、耕していただきました。
小さな田んぼにしては、大きな機械ですので、操作も大変なようです。
ありがとうございました。
今日は、憲法記念日でした。
祝日ですから、境内に、国旗を掲揚。
日本国民自らがつくった憲法とは言えないとは思いますが、ちょっと複雑な心境で「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」わけです。
中学校に通っている次男坊が、昨日中学校で憲法記念日の説明があったとのこと。
「でもね~、九条のことになって、結局、何だか平和学習みたいになった」と息子の話。
毎月1日は、還年クラブ(中部地区老人会)の有志の皆さんによって、境内がきれいにお掃除されます。
今朝もお世話さまでした。
お昼頃、ふと。 社務所横の側溝です。
なかなか無くならない、ポイ捨て。
先日も、車の中から火が付いたまま窓の外にポイ捨てするところを見ました。
誰かがその後始末をしている、ということをしっかり自覚して欲しいものです。
しかも、神さまのお住まいである境内にポイ捨てとは。。。 自らバチを下さいと言っているようなものです。
櫛原天満宮御鎮座八百二十五年記念の主な事業、随身像修復。名古屋の専門の人形師の手により、見事に修復されました。
来たる4月3日の午前10時より、これもきれいになった随身門にお遷しします。
名古屋から久留米にお戻りになっていますが、まだ厳重に梱包されたままです。写真をいただきましたので、一足先にこのサイトに掲載します。
所見
大きさ 頭上から衣先まで4尺(120cm)
『随身像両像』は、台座裏に銘文が残されており、「天明二龍集壬寅黄鐘穀旦」と、江戸時代中期の記述が見受けられます。この銘文は比較的新しい為、おそらく近代に台座部分のみ、造り替えたものと思われます。
本体木組構造(一体)は、身体部から手・顔・足先を合わせ計11木材を合わせて構成されています。
保存状態は各所木地に虫食い・眼欠損・ヒビ・数カ所欠損等があり、身体の手部等が鼠などによる食害が見られました。
顔は木組二構成で、裏からガラスに彩色し玉眼を入れるようになっており、古典的な技法が用いられています。
彩色層は各所で剥落が進行しており、表層は胡粉(ごふん)下地の上彩色が施されていました。
修復前…