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ときどき神主ブログ - 郷土史劇 稲次因幡  五穀神社のご祭神の劇があった!

郷土史劇 稲次因幡  五穀神社のご祭神の劇があった!

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祭典
執筆 : 
office 2014/5/8 15:46

五穀神社の古い書類をみていたら、こんなものが。

 

 

劇の台本です。

稻次因幡というのは、五穀神社の相殿に祀られているご祭神です。

 

http://kushihara.net/modules/shoukai/index.php?content_id=2

稲次因幡正誠公 (いなつぐいなばまさざねこう)
享保13年(1728)8月、生葉、竹野、山本の三郡の農民は、藩の重税に耐えられず、減税運動の一気を起こしました。総勢5,700余名が武器を持って善導寺に集まり、御井町まで押し寄せました。
27才の若い家老の稲次因幡正誠は、一揆を起こした首謀者とひとりで会いに行き、「農民の要求に応じる、以前の税は1割1歩減税、首謀者の処刑はしない」という約束をして農民の苦しみを救いました。
農民は喜びましたが、家老仲間の不満、藩の殿様の怒りが後年藩主お世継ぎ問題とからんで、享保19年(1734)、御原郡津古村(小郡市)の庄屋斉田氏宅に幽閉させられました。三千石の家老職を失い、享保21年(1736)悲運のうちに亡くなりました。34才でした。
罪ある身であったため、城下町に帰ることなく、小郡市の霊鷲寺(りょうじゅうじ)に葬られました。
そして彼の死後12年目、寛延2年(1749)、稲次因幡正誠公の人徳をなつかしく思い慕う農民が、五穀神社ご創建にあたり、農業の神様としてお祀りました。
 

 

まずは吉井町が舞台です。

 

 

正誠公27歳。若いです!

百姓一の台詞からスタートします。

 

 

第二場は、江戸赤羽上屋敷。 有馬の殿様がいらっしゃったのでしょう。

正誠公が農民のことを伝えるシーンのようです。

 

旧仮名遣いには慣れているつもりでしたが、なかなかスラスラとは読めません。でも面白そうです。

 

この劇を復活したい!という方はご連絡下さいませ。。。。

 

 

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