ときどき神主ブログ - 久留米荘 久留米にゴボ天って昔からあったのかな?
先日、懇意にさせていただいている、みやま市の下庄八幡神社の外河宮司さんが、ご来社されまして、日本テレビ系列の「秘密のケンミンSHOW」で、福岡はゴボ天うどん! とやっていたのを観て、お昼にゴボ天うどんを食べに行こう、と。 どこかいいところあるかなぁ、と。
雨も降っていたこともあり、それだったら車を降りてお店まで濡れずに行ける「久留米荘グルメシティ店」でしょう!
私自身、久しぶり~。
ゴボ天だけではなく、かしわにぎりも食べなくちゃいかんとテレビでやってたということで、上の写真となりました。
いやぁ、今みても、パブロフの犬状態になります。
この写真、Facebookにアップしたら、結構な数の「いいね!」をもらいました。
東京で働いている小学校の同級生が「久留米荘のうどん!なつかしすぎる!」というコメントをくれたり。
でも、でも、ふと思ったのですが、昔っから久留米はゴボ天うどんだったんでしょうか??
ゴボ天、いやいや、久留米ではフツーにゴボウ天って言っていたのではないですか? ゴボ天ってのは、博多の方で言ってたんじゃないかなと思うのです。
ところで、このゴボウ天うどん、私には強烈な思い出があるのです。
それは、あるオッチャンの話です。
三十数年前、中学校の帰りに、広又にあったうどん屋に行きました。ちょくちょく行っていたうどん屋だったかもしれません。横がインベーダーゲームでフィーバーしていたゲームセンターだったと記憶しています。
同級生数人でお店にはいると、ひとりそのオッチャンが先客でいました。
そのオッチャンは、うどんをすすりながら、「ゴボウ天うどんの、あのゴボウが醸し出す味と風味がうどんのスメにマッチしてうまいんだよ」と、お店のご主人に力強く語っていました。
この店にゴボウ天うどんが無いので、「そりゃいかんばい」と暗に言っている感じです。
それだけでは余り強烈な思い出にならなかったでしょうけど、ある同級生が「あれ、○○(同級生の女の子の名前)の親父ばい」って。。。
今どき、久留米のうどん屋でゴボウ天が無い店って、無いと思うのです。でも、当時はあったということですよね。
久留米荘で食べるなら、「すうどんにしなさい」と聞いていました。 ツウはやっぱり「すうどん」。 「男なら~」風で、すうどんです。
長崎市に住んでいた人と話していて、長崎にも人気のうどん屋があるけど、そこもやっぱり「すうどん」だよと。(ちなみに皿うどんなら太麺)
何だかわけわからない書き込みになってしまいました。
というわけで、すうどん。
http://kushihara.net/modules/d3blog/details.php?bid=125
※久留米のゴボ天って昔からあったの?は、私の勝手な想像です。
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コメント一覧
そうです、そうです、記憶が蘇ります。
「すうどん」を注文するのが普通でしたね。ある長崎のうどん屋の話しをしていて、その店ではすうどんを注文するのが通で、他は邪道なんて冗談話を聞いたことがありますが、久留米荘もそうだったのではないでしょうか。笑
投稿した30年前の話しの時は、久留米荘にもごぼう天はなかったんですね~。
このところ、どの店に行っても「ごぼう天」のクセがついてきましたので、基本に戻ろうと思います。
久留米にゴボ天は無かった、が正しいと思います。
久留米荘にゴボ天が登場したのは20年位前じゃないですかね。
久留米荘と言えば丸天うどんですが、昔はその丸天すらありませんでした。
小さい頃の記憶ですが、元々久留米荘には素うどんしかありませんでした。メニュー上は「うどん」だけです。
近所に持ち帰りのてんぷら屋さんがあって、そこで丸天買って久留米荘に持ち込んで、うどんに乗せて食べるのが通の食べ方だったと思います。
そのうち久留米荘がそのてんぷら屋の丸天を店内に置くようになって「丸天うどん」というメニューが生まれたと思います。
すうどんだけ、と言うのがうどん屋の基本形です。
店で天麩羅を揚げるようになったのは蕎麦屋の影響です。
博多は港町で蕎麦屋もそこそこあるんで、蕎麦屋の天麩羅を博多のうどん屋が取り入れたのがゴボ天うどんじゃないかと思います。
それが地方にも広まったと。
ちなみに久留米でも古株の三九郎には初期からごぼう天などの天麩羅うどんがあってびっくりした覚えがあります。