ときどき神主ブログ - 201010のエントリ
本日、10月30日午前9時より、櫛原天満宮において「教育勅語渙発百二十周年記念祭」を斎行しました。
「教育ニ関スル勅語」、一般に教育勅語といわれますが、明治23年の今日、明治天皇により発布されました。今年は120周年にあたる良き年であることを神さまに奉告し、氏子さん、崇敬者の皆さんはじめ、国中の皆、特に若い人が、この素晴らしい教育勅語の教えの通りに、しっかりと頑張れるようにと祈りました。
参列はなく、私ひとりでのご奉仕でした。記念撮影もタイマーで。
平成22年10月30日(土)は、「教育勅語」が渙発されて120年目になります。
櫛原天満宮では当日「教育勅語渙発120周年記念祭」を午前9時より斎行いたします。
どなたでも自由にご参列いただけます。お気軽にどうぞ。
少し前に、神社周辺の番地をみていてふと思ったことがあります。
グーグルマップでも調べられますが、現在、東櫛原町の番地は、
2 3 5 8 10 13 14 30 33 34 ・・・
と、なっています。1番地がないんですね。
2番地、3番地、5番地を調べてみると、ちょうど櫛原天満宮のすぐ西隣からスタートし、そのまま西(北西)にいくようです。昔は1番地のお宅があったのかもしれませんが、この番地の流れ方からすると、櫛原天満宮が1番地でも全くおかしくない感じがします。
字図をみて、本当に1番地がなければ、せめて郵便物だけでも1番地で届くように頑張る(1番地宛でドンドン出す)ってのはどうかなと思いました。冗談半分ですが。
ちなみに、この近くだと、高良大社が御井町一番地です。
広い境内をひとりで掃除していますと、「大変ですね」と良く声を掛けていただきます。ありがたいです。
「大変は大変ですが、運動にもなると思えば楽しいです」と私。
そこに、もうひとつ私なりの楽しみを加えています。それは、掃除道具。
昨日、上津の国道3号沿いにあるDIYショップで、「G-story スマートホーキ フラット」というほうきを買いました。コシが強く、コンクリートなどの上の落ち葉も掃きやすい、、、というのに惹かれまして。
何かとこのところ慌ただしいのです。忙しいのは結構なことではありますが。
あれもやりたい、これもやらなきゃ、七五三は近いし、お正月もやってくる。
これからの時期、神主さんは最も忙しくなるのです。
昨日は、ある神社さんのお手伝い。
まさに村の鎮守様というたたずまいでした。
ふと目にとまったのが、こちら。
昨日は、本当にありがたいことがありました。
まず、ブログの「御扉前壁代 ご奉納者募集」にあるように、お願いしましたところ、さっそくご奉納いただきました。当宮のお近くにお住まいの方で、「退職にあたりお宮さんに何かさせていただきたい」とお考えだったとのことです。普段から私がお世話になっている方ですが、本当に御神縁によるものだと思います。
お昼頃、私が外出している時にお電話いただき、何事?と戻ってみますと、福岡よりご夫婦でご参拝。
お話を伺うと、私のこのブログのおかげで助かった、、、ということ。 詳しくは書けませんが、このつたないブログが世の中の役に立ったのかと聞くと何とも。 更には、御扉前壁代に協力させていただきたいとのお話までいただき、これも神様のお徳によるものだと思いました。
皆さんの心こもったお参りで、神様のご神威がどんどん増していきます。 感謝。
ネットでご奉納者募集というのも、何なのですが、、、
ご神前の御扉(みとびら)前に、白布(壁代の全部白のもの)を設置したいと思います。
装飾の一環ですが、祈りの場所としてますます相応しい神域になるものと思います。
ご寄付依頼金額 4万円
奉納奉告祭を斎行、御家の御繁栄をご祈祷します。
宜しくお願い申し上げます。
お問い合せ 0942-80-8000
※どなた様かご奉納をご連絡いただいた時点で、募集を終わります。(募集はお一人のみです)
当募集は、お申し出がありましたので、終わります。 厚く御礼申し上げます。
平成22年10月13日
兼務社のひとつである南薫の天満神社。一の鳥居のすぐ先に、恵比寿さまが祀られています。
でも、台座の石がずれてきて、恵比寿さまがわずかに傾いています。
石をきれいに積み直す工事が行われました。
恵比寿さまにその旨の奉告のお祭りの後、、、、
おおおお、恵比寿さまが、、、、 思わず手を合わせました。
どなたかが、「空中浮遊だね」
あっという間に、こんなにきれいになりました。
プロの仕事はさすがだなぁ。
守山宮司の辞任により、9月15日付けで禰宜(ねぎ)の私、熊懐(くまだき)が神社本庁より宮司の任を拝命いたしました。
守山宮司はまだまだお若いのですが、神様、神社の継続発展を考えてご決断されました。まさしくご勇退です。
私も守山宮司のその思いを継いで、何より御祭神、神社のために頑張りますので、宜しくお願いします。
ある方より「ちょっと教えて欲しい」とお尋ね。櫛原天満宮境内の石碑等をご覧になっていたようで、果たしてどんなご質問かと思えば、「石橋山城守という方は、ここの神社の神主さんだったのでしょうか」とのこと。このブログで書いた「石は語る」で、神主の名としてありましたので、その文字を見ていただきました。
「やはり、そうですか」
お聞きすると、筑紫野市の眞野さんとおっしゃって、庚申塚について、長いこと調査研究をされているそうです。
神社ご社殿の南東にある庚申塚を、ずいぶん昔調査され、再び訪れたとのことでした。
その時、ご覧になっていたメモ。 クリックすると拡大します。
昔、庚申塚について調査された本があり、その写し書きだそうですが、何とその著者が、郷土史家の古賀壽(こが たもつ)先生。 昭和36年発行 『久留米市内の庚申塔・道祖神碑、石と民衆3』
今度、コピーを送って下さるそうです。
この庚申塚とほぼ同じものが大刀洗の高良玉垂神社にあるそうです。石工も同じではないか、浮羽の山北の石ではないかということです。そこまでわかるのですね、さすがです。
しかも、山北は私の本家の場所でありまして、何か感慨にひたってしまいました。
神社の南側、鳥居を出たところにも庚申塚がありまして、それも調査されました。
「う~ん、年号が記されていないなぁ」とのこと。
ただ、境内にある庚申塚より50年は新しいだろうとのことでした。
新しい説明板を立てられそうです。
今日はおついたち。月次祭(つきなみさい)を斎行しました。
受け持ちの6社を廻るのですが、順番などまだ試行錯誤中です。
今回は、五穀神社、南薫天満神社、櫛原天満宮、秋葉神社、小森野日吉神社、高野産八幡宮の順でした。
櫛原天満宮以外の兼務社は、諸都合上、簡単なお供えをさせていただき、祝詞を奏上しました。
本務の櫛原天満宮は、一通りのお供えをしました。