ときどき神主ブログ - 郷土史劇 稲次因幡 五穀神社のご祭神の劇があった!
五穀神社の古い書類をみていたら、こんなものが。
劇の台本です。
稻次因幡というのは、五穀神社の相殿に祀られているご祭神です。
http://kushihara.net/modules/shoukai/index.php?content_id=2
稲次因幡正誠公 (いなつぐいなばまさざねこう)
享保13年(1728)8月、生葉、竹野、山本の三郡の農民は、藩の重税に耐えられず、減税運動の一気を起こしました。総勢5,700余名が武器を持って善導寺に集まり、御井町まで押し寄せました。
27才の若い家老の稲次因幡正誠は、一揆を起こした首謀者とひとりで会いに行き、「農民の要求に応じる、以前の税は1割1歩減税、首謀者の処刑はしない」という約束をして農民の苦しみを救いました。
農民は喜びましたが、家老仲間の不満、藩の殿様の怒りが後年藩主お世継ぎ問題とからんで、享保19年(1734)、御原郡津古村(小郡市)の庄屋斉田氏宅に幽閉させられました。三千石の家老職を失い、享保21年(1736)悲運のうちに亡くなりました。34才でした。
罪ある身であったため、城下町に帰ることなく、小郡市の霊鷲寺(りょうじゅうじ)に葬られました。
そして彼の死後12年目、寛延2年(1749)、稲次因幡正誠公の人徳をなつかしく思い慕う農民が、五穀神社ご創建にあたり、農業の神様としてお祀りました。
まずは吉井町が舞台です。
正誠公27歳。若いです!
百姓一の台詞からスタートします。
第二場は、江戸赤羽上屋敷。 有馬の殿様がいらっしゃったのでしょう。
正誠公が農民のことを伝えるシーンのようです。
旧仮名遣いには慣れているつもりでしたが、なかなかスラスラとは読めません。でも面白そうです。
この劇を復活したい!という方はご連絡下さいませ。。。。