ときどき神主ブログ - 201403のエントリ
櫛原天満宮御鎮座八百二十五年記念の主な事業、随身像修復。名古屋の専門の人形師の手により、見事に修復されました。
来たる4月3日の午前10時より、これもきれいになった随身門にお遷しします。
名古屋から久留米にお戻りになっていますが、まだ厳重に梱包されたままです。写真をいただきましたので、一足先にこのサイトに掲載します。
所見
大きさ 頭上から衣先まで4尺(120cm)
『随身像両像』は、台座裏に銘文が残されており、「天明二龍集壬寅黄鐘穀旦」と、江戸時代中期の記述が見受けられます。この銘文は比較的新しい為、おそらく近代に台座部分のみ、造り替えたものと思われます。
本体木組構造(一体)は、身体部から手・顔・足先を合わせ計11木材を合わせて構成されています。
保存状態は各所木地に虫食い・眼欠損・ヒビ・数カ所欠損等があり、身体の手部等が鼠などによる食害が見られました。
顔は木組二構成で、裏からガラスに彩色し玉眼を入れるようになっており、古典的な技法が用いられています。
彩色層は各所で剥落が進行しており、表層は胡粉(ごふん)下地の上彩色が施されていました。
修復前…
今まで残してきた井戸だけど、全然使わないので、、、と、井戸をお祓いして欲しいとのご依頼があります。
今日も祭典のご奉仕をしてきました。
祭壇のすぐ奥に使われなくなった井戸があります。
今回は直径20cm程度の井戸でしたが、人が入って掘った井戸、直径1m半以上で、内部は石で積まれた立派なものも良くあります。
神籬祭祀(ひもろぎさいし)という言葉があります。
神様を祀るのにあたり、その神様の依代(よろしろ)となるのが神籬で、例えば、地鎮祭では榊を立て、御幣を付けたりしたものを神籬とします。
その後、御神体があって、神様がいつもいらっしゃるようになり、神殿(本殿)が造られ、更に拝殿などの施設が整えられて今の神社になったのでしょうから、神籬祭祀は神社祭祀の初期の姿ではないかと思います。
先日、宗像大社にお参りしたところ、ご社殿が修復中で、仮殿に神様がお遷りされていました。その仮殿の雰囲気がまた素晴らしい。
御神体があるのですから、当然おやしろが奥にあるのですが、その手前に神籬。
こういう形の神社も、これからあるのではと感じました。
それで、櫛原天満宮の境内に何かあるの?、、、という話なのですが、先日雑木を伐採していたところ、「あれれ?こんなところに榊が?」
3年ほど前に植えた福笹用の「おかめ笹」がかなり広がってきましたので、ブロックで囲いを作ってもらいました。
この前日、産八幡宮の春祭から酔っぱらって帰ってきた勢いで、スコップを手にザザっと掘っていたのですが、氏子の皆さんが”ちゃんと”堀直して、ブロックも買ってきてくれました。
毎朝の日供祭(にっくさい)にあわせて、東日本大震災復興祈願祭を斎行いたしました。
お供えのお米は、神社庁を通じて送ってきた、福島県のお米です。
あの大きな被害をもたらした、大震災からもう3年。いや、3年も経つというのに、未だ避難所生活という方もいらっしゃるとは。。。
いろんな複雑な問題もあって、なかなか事がスムーズに進まないのだと想像しますが、、、