今から二千年前の第十一代垂仁天皇の御代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお心に最もかなったところとして皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)がお鎮(しず)めになった場所が伊勢国・度会(わたらい)の宇治(うじ)の五十鈴(いすず)川上、今の皇大神宮(内宮:ないくう)です。  それからほぼ五百年後の第二十一代・雄略(ゆうりゃく)天皇の夢の中に大御神が現れ「丹波国・比治(ひじ)の真名井原(まないはら)にまつられている等由気大神(とゆけのおおかみ)(豊受大神)を、御饌都神(食事を司る神)として私の近くに呼んで欲しい、一人では大御食(お食事)も安心して食べられない」と神さまのおつげがありました。 そこで豊受大神を度会の山田原(やまだかはら)にお迎えしておまつりした場所が今の豊受大神宮(外宮)です。  御饌都神とは、稲をはじめとする五穀の主宰神で、大御神のお食事をつかさどり、さらに衣食住ひいてはすべての産業の守り神であります。  内宮の御祭神は私たちに命の本源を与えて下さった大御祖神(おおみおやがみ)ですが、外宮の御祭神のおかげもあってこそ私たちは生き、生かされているのです。 それゆえに神宮は全国神社の本宗と仰がれています。  神宮にはこの両宮の他に、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)あわせて百二十五のお社があります。