皇室そして日本国民の先祖の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、初め天皇がお住まいになっておられる宮中にまつられていました。 しかし、今から二千年以上も昔の第十代崇神(すいじん)天皇の御代、国内に伝染病がはやったので、天皇は神さまのお力にかしこみ、天照大御神を皇女の豊鍬入姫命(とみすきいりひめのみこと)に命じて、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)にまつらせました。  次の垂仁天皇の御代、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)がさらに良いところを求めて、伊賀・近江・美濃と各地をめぐり、伊勢国・度会(わたらい)の宇治(うじ)の五十鈴(いすず)川上にこられた時、「この神風の伊勢の国は、常世(とこよ)の浪(なみ)の重浪(しきなみ)の帰(き)する国なり、傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり、この国に居らむとおもう」『日本書紀』という神さまのおつげがあったので、ここが大御神のお心に最もかなったところとしてお鎮(しず)めになりました。 その場所が今の皇大神宮(内宮:ないくう)です。 垂仁天皇二十六年、今から二千年前のことでした。  伊勢は大和からみると太陽の昇る東の地、常世の国(理想郷)であり、また地理的にも山海の幸に恵まれた最良の地であったので、大御神はこの地をお選びになったのでしょう。