天保3年。西暦1832年。


「今般当社ご祭礼につき、町々よりの化り物(つくりもの)、筆に尽くし難くそうらえば、御覧の御方お土産に、十ヶ一を図に移し、お咄(おはなし)のことくさにもと披露仕え奉るものなり」 
判は「如春堂」

今でいう、観光パンフレットです。






2枚目、本社とあるのが、今の五穀神社の社殿位置です。円通寺があります。神仏混合です。
能舞台もあったようで、当時の祭礼の賑やかさが伝わってきます。




3枚目、上に秋葉神社。今もあります。
この頃は、五穀神社前の道(大砲ラーメン本店前の道)がメインストリートだったようです。

以下、からくり芝居を描いたものです。「作物ヤタイ」で行われていたのでしょう。
天保3年は、田中久重が33歳。 これらのからくりも田中久重のものに違い有りません。
これこそ東芝のルーツではないでしょうか。


「このところ竜宮にかわる」


「鳥居せり上げ」


「このところ双方に開く」

ご協力:久留米市文化財保護課