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ときどき神主ブログ - 歴史カテゴリのエントリ

パワースポット?神主さんと話そう。

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2010-4-29 12:07

明治神宮はなにやら大賑わいのようで。拝観料まで取るとはどういうことだと思ってしまいます。

とはいえ、ひとりの方から「パワースポットありますか?」

どこの神社は境内全部がパワースポットなのです。神社にお参りされた際には時間があれば、ぜひ境内の隅々まで行ってみてください。

 

櫛原天満宮で、あえてあげるなら、、、個人的な感覚ですが。

 

福岡県久留米市のパワースポット?福岡県久留米市のパワースポット?

携帯で撮ってみた。

 

石丸遺跡の大石
当宮の周辺には、今寺遺跡と石丸遺跡があります。今寺遺跡では、弥生時代前期から終末期に及ぶ集落や甕棺墓、鎌倉時代のお墓や室町時代の溝、石に一文字づつお経を書いて納めた江戸時代の穴などが見つかっています。
石丸遺跡は、今寺遺跡に住んでいた弥生時代の人々の墓地と見られる遺跡で、多数の甕棺墓が調査され、銅矛や管玉なども出土しています。
この大石は、甕棺墓の上に置かれていた石と伝えられていますが、古代における祭祀跡である磐座とも考えられます。

 

すぐとなりの桜の木にはサクランボが色づいてきました。

 

ゴールデンウィークの土日祝日は、ほぼ櫛原天満宮にいます。神主さんとお話ししてみたい方はぜひお越しください。私も暇ですから。

 

東芝の創業者は、久留米出身

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2009-7-29 16:05

「東芝の創業者は、久留米出身なんですよ」
残念ながら、久留米でもあまり知られていません。

「からくり儀右衛門」と言えば、少し知っている人も。JR久留米駅前にあるからくり太鼓時計。儀右衛門が製作した「太鼓時計」をモチーフにしています。 その「からくり儀右衛門」こそ、東芝の創業者田中久重(たなかひさしげ)なのです。

田中久重が幼少の頃遊んでいたのが、五穀神社
五穀神社のお祭りでみた「からくり人形」に強い興味をいだき、自らも創意工夫して「からくり」に力を注いだのです。

五穀神社と田中久重の結びつきが東芝を生んだと言っても過言ではないでしょう。
五穀神社がなければ「今の日本を代表する電機メーカー 東芝」はなかったかも知れません。

この事は、東芝のウェブサイト「東芝のルーツ、田中久重ものがたり」に詳しく記載されています。

ついでの話ですが、ブリヂストンの創業者石橋正二郎氏、三越百貨店の創業者日比翁助氏も久留米出身なのです。

五穀神社境内にある田中久重の像


 

東芝ウェブサイト 田中久重ものがたり
東芝のウェブサイト


神社入り口にある説明看板

 

石は語る

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2009-4-29 12:28

神社の境内には文字が刻まれた石碑や石垣があります。
ご社殿手前の石垣です。



 奉寄進通外町氏子中  明和四丁亥年四月下浣
 發端 城戸氏     祠官 石橋山●守
 奉寄進通町十町目中  石工 秦宇右衞門

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五穀神社の狛犬

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2009-3-14 11:20

五穀神社のご社殿少し手前に、狛犬があります。
台座の大きさ、古さに比べて、小さくて新しい狛犬。最初の狛犬とは別物であることがすぐにわかります。

昭和13年に発行された『五穀神社記』(発行兼編集人 淺野陽吉)には次のようにあります。

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五穀神社の古い写真

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2009-3-5 10:43
五穀神社の社務所に、古い一枚の写真が掲げられています。



お相撲さんの姿があります。
今はない、拝殿も。

この周りには、子供を含む沢山の参拝者がいるんだろうなぁと想像しています。
この賑やかさをいずれ取り戻したいです。

櫛原天満宮にある、石橋正二郎氏の寄付記念石碑です。
ご社殿の手前右、お守り授与所のすぐ横にあります。銀杏の木の下です。



石橋正二郎氏は、ブリヂストンの創業者です。

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昔ばなし 久留米市高野町「タニシが池」

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2008-9-24 14:13

昔、高野のある農家に、たいそう孝行者の娘がいました。家は貧しかったのですが、父と娘の二人で楽しく暮らしていました。

ところが、そのころ、5年間もの間日照りが続き、毎年五月の五穀豊穣の祈願もききめがなく、村人も困り果てていたとき、たまたま六部が通りかかりました。六部とは全国の社寺などを巡礼して、旅をしながら修行している人です。六部は村人に頼まれて天をつかさどる神である天帝におうかがいをたてると、池の主が、巳年巳日生まれの15歳になる娘を人身御供(ひとみごくう)として求めていることがわかりました。

さっそく村人が集まって調べてみると、孝行娘がそうだとわかり、父親は泣く力もうせて、とぼとぼと家に向かいました。 帰りしな、ふと見ると、苗代田で鳥がタニシをつついています。農夫は鳥を追い払い、「おまえも親か子がいるだろう。鳥に食われたら家の者が泣こうものを」といたわって、タニシを逃がしてやりました。

いよいよ人身御供に行く晩、白装束に身を包み、村人に見送られた娘は、池の端で念仏を唱えていると、にわかに星空が真っ暗になり、大雨が降ってきて、娘はそのまま気を失ってしまいました。

翌朝、昨夜の雨は夢のように晴れ上がり、村人がおそるおそる池に行くと、驚いたことに、大きな池を二つ割るようにして大蛇が死んでおり、何千、何万というタニシが大蛇に吸いついていました。娘は無事に家に連れ戻されましたが、その後、この池をタニシが池と呼ぶようになり、大蛇の体があった所に土が積もって、池は二つに分かれたということです。

久留米市史-『郷土研究筑後』第三巻第七号

稲次因幡正誠公の墓参り

カテゴリ : 
歴史
執筆 : 
office 2008-7-12 0:22

今日は、五穀神社のご祭神である「稲次因幡正誠公」の墓参りに行きました。
稲次因幡正誠公は、今の小郡市で亡くなり、霊鷲寺(りょうじゅうじ)に葬られました。

 

霊鷲寺の参道です。右にある看板に稲次因幡正誠公の功績が書かれています。

当ウェブサイトの参考にさせていただきました。

お寺はご創建700年で、本堂大改築が行われているとのことでした。
実に立派な本堂に感動しました。

稲次因幡正誠公顕彰の碑です。
現在お墓も整えている途中とのことで、残念ながら墓石はわかりませんでした。

 

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