ときどき神主ブログ - 天保時代の久留米街図
学生時代、歴史が大の苦手だった私が神主さんしているのですから、困ったものです。
でも、自分が住んでいる町には興味が出てきました。年でしょうか。
それはともかく、昨日のブログで今の櫛原町、東櫛原町は久留米ではなかったということを書きましたが、ではどういう町並みだったかということで、この地図です。
クリックすると1240ピクセルまで大きくなります。
天保時代とあります。1830年から1843年までで、この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶です。天保8年には大塩平八郎の乱が起こっています。
左上、掘りに囲まれているのが久留米城です。
赤で書かれているのが、神社。一番右(東)にあるのが五穀神社ですね。久留米の街に入る砦の外になっています。ですから通外(とおりほか)町という地名なんですね。
その上の白い部分、ひっくり返っていますが、クシワラ村の文字があって、赤い部分「天満宮」が櫛原天満宮です。
南にはメインストリートの更に南に日吉神社があります。今の日吉町です。
お城の掘りの内側にも家がありますが、上級武士の家でしょう。その中に赤く「祇園社」とあるのがわかりますか。これが久留米三大祭りのひとつ、祇園祭がおこなわれていた神社です。
じっくり見てみると、実に面白いんですよね。
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コメント一覧
毎朝久留米大学の前を通って神社へ行っています。
本当は、ウェブサイトの名称を、本務神社(常駐している)「櫛原天満宮」だけにして、五穀神社は別に立ち上げなければならないのでしょうけれど、正直、本務より兼務の五穀神社の名称が広く知られているので、そうしています。
ウェブサイト開設してから、遠方からもお参りいただく方が増えてきました。小さな神社でお金もありませんので、いろいろ立派にはできませんが、できる範囲で「祈りの場所」として相応しい環境にと頑張っています。
どうぞ、宜しくお願いします。
最近津福に仕事場を構え、久留米の歴史を同僚に享受してもらっています。インターネットで市編纂の史書、私も手頃の値で、注文したところです。
今、ヤフオクでも出ているようです。私は近くのブックオフで安価にて入手できました。
久留米市史もいいですね。市役所でまだ購入できます。
この街図、篠山神社の有馬記念館に大きいのがあったように思います。あれがオリジナルなのかも。
今の地図と比べてみると、二股に分かれた道が同じだったり、
なかなか面白いです。
久留米城といえば、NHKの龍馬伝で「久留米藩」の名がでて、ちょっと興味が湧いていました。これを機に、調べてみたいと思います。