ときどき神主ブログ - 五穀神社の狛犬
五穀神社のご社殿少し手前に、狛犬があります。
台座の大きさ、古さに比べて、小さくて新しい狛犬。最初の狛犬とは別物であることがすぐにわかります。
昭和13年に発行された『五穀神社記』(発行兼編集人 淺野陽吉)には次のようにあります。
銅製唐獅子
仝神社には今一つ大に注目すべき寄進がある、拝殿前に在る雌雄の青銅製唐獅子である、其作者は、
雄獅子 久留米住御鋳物師
植木善吉 藤原刻政
植木善作 藤原政光
植木紋藏 藤原政景
雌獅子 榎津町住勅許御鋳物師
中村勘兵衞 藤原朝臣政齊
中村益平 藤原政治
中村小兵衞 藤原英政
制作年月は「文政五壬午年閏正月吉祥日」とある、而して其の作品は、立派な我郷土鋳物芸術の標本として、珍重するに足る、
此等は我郷土に於ける他の神社仏閣には、滅多に見る能はざる、貴重なる数々の寄進を見るのは、当時世人の五穀神社崇敬の念篤かつたのを表證する遺物であると思ふ。
文政五年は、西暦1822年です。五穀神社のご創建が1749年ですから、結構後になって奉納されたことがわかります。榎津(えのきづ)町は、大川市です。 この狛犬は、銅製であったため、大東亜戦争で金属供出に出されたものだと思われます。
戦争遂行資材は枯渇し、生産力は衰弱していたためで…各家庭では…あらゆる金属類を供出した。その際、貴金属類は旭屋デパートで取り扱った。…寺社の金属器具・梵鐘類、戦意高揚と忠君愛国の鼓舞に役立った肉弾三勇士・真木和泉守の銅像をはじめ…全部撤去供出され、軍需資材に振り向けなければならないほど深刻化していた。
(久留米市史第三巻 第14章 戦争への傾斜と久留米 P1129)
立派な狛犬がなくなったのは残念ですが、あの爆弾三勇士、そして真木和泉守の像までとなると、仕方がなかったことなのです。