「菊の節句」「九月節句」ともいいます。 昔、中国では奇数は陽の数とされていて、その中でも「九」という数は最大の数であり、それが重なることから「重陽の節句」といわれるようになりました。 もとは節供とも書きました。 中国ではこの日、菊の芳香で邪気を払い寿命が延びるようにと願って、菊酒(菊をひたした酒)をくみかわしたり、丘や山に登り、邪気を払うとされている茱萸(しゅゆ)の実を採る「登高(とこう)」という行事がありました。 日本には、平安時代に伝来し、宮廷の儀式「菊花の宴(重陽の宴)」となりました。 江戸時代になると、幕府がこの節句を武家の祝日として重要視したことから、公的な性質を備えたものになったのです。 しかし、明治以降は次第に忘れ去られてしまい、地方によっては御九日(おくにち)(九月九目のこと)と呼ばれて、収穫を感謝する秋祭りが行われています。